小学生の時いじめられていた。
悪口とか物隠し程度だったが小学生にはかなりキツかった。
ある日いじめをしていた主要人物五名がいきなり転校。
数日後下駄箱の中に「がんばりました あなたもがんばってください」
と書かれた匿名の手紙が入ってた。
わけがわからんくて怖かった。
今思いついたんだけど飽きて塩漬けになってるラブプラスを50年後くらいに起動して「久しぶりだね。私はもうこんなに年を取ってしまったよ。君はあの頃のままだ。」とか言うとめっちゃジュブナイルSFっぽいから死ななかったらやろうと思う。
スーパーの寿司を手に取って歩き出そうとしたら、ちょうどやって来たおばちゃん店員さんが覗き込んで値下げシールをあいよっ!と貼ってくれて最高のホスピタリティを感じた。
魯迅は「人間が自立し自由になるためには金銭が必要なのです。金銭の話をすると卑しいと笑う知識人もいますが、彼らは食事をするのにも金銭が必要であることがわかっているのでしょうか。そういう方には一日くらい食事をしないでもらってから改めて話した方が良いでしょう」とか書いていましたね。
自殺予防として「生きたくても生きられない人がいるんだから、死んじゃだめだ」みたいなことを言うやつ、「お前の行動はだめだ」という否定を説得に使っている時点でもうお察し下さいだし、そういう「押しつけ」が蔓延する社会に嫌気がさして死を選ぶ人もいるだろうし害悪でしかないと思うんだよな
尊厳死にしても安楽死にしてもそうなんだけど、「死」にまつわる問題を「○○はだめ、○○はよい、絶対。」みたいに言い切る人、「わかった上で計算してしゃべってる人」ならいいんだけどそういうことはまずなくて「単に想像力がない人」だよ 死の問題に絶対もクソもあるか 死については死んでも迷う
原価厨は単に人件費その他を考慮できないばかりか原価さえ見積れない場合あると思う。「たかだか数百円のタネ蒔いてできた野菜を何百円で売ってるとかボロい」くらいは言いかねない。ああボロいぜいいもんだぜ、おまえもやれよ。

消費税を8%にすべきと言っていた連中にきっちり責任を取らせて貰わないと
今後も同じようなミスを何度も繰り返すことになる
今の日本の一番の問題は

誰も責任を取らないシステムだとそろそろ気付け

稲作には、穀物を食するネズミや、の土手に穴を開けて水を抜くハタネズミが与える被害がつきまとう。稲作が始まってから江戸時代までの間に、日本人はキツネがネズミの天敵であることに注目し、キツネの尿のついた石にネズミに対する忌避効果がある事に気づき、田の付近にを設置して、油揚げ等で餌付けすることで、忌避効果を持続させる摂理があることを経験から学んで、信仰と共にキツネを大切にする文化を獲得した

読んでみた「1976年のアントニオ猪木」。  この本を読んで分かるアントニオ猪木の凄さは、セルフプロデュース能力とそれをどんな手を使っても成し遂げる実行力である。

 例えば新日本プロレス創設期に、馬場の圧力によって人気のある外人レスラーを呼べなかった猪木は、タイガー・ジェット・シンという無名のレスラーを一躍人気者に仕立てた。

 そのやり方は、プロレス以外の場所でシンに猪木を奇襲させることだったり、サーベルを持たせて客の恐怖心を煽ることだったり、ベアクローで喉を掴まれた時に猪木自らが喉をカミソリで切り、血の出る演出を試みることだったりした。  それまでプロレス界にそんなことをするレスラーはいなかった。

 現在の総合格闘技では、本当に強い者は相手を秒殺する。  相手の強さを引き出そうというショー精神はない。それが命取りになるからだ。  その点猪木は、プロレスというシナリオのあるショーの中で、存分に相手にやられ、存分にダメージを受け、でも最後は自らが勝利するというシナリオを描いてきた。  対戦する相手を強く見せることで、それに勝つ猪木自身がもっともっと輝くわけだ。

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